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エフゲニー・オネーギン (オペラ) : ウィキペディア日本語版 | エフゲニー・オネーギン (オペラ)
『エフゲニー・オネーギン』(ロシア語原題:Евгений Онегин)作品24は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲のオペラ。『エウゲニ・オネーギン』、『イェヴゲニー・オネーギン』などとも表記される。アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』が原作で、作曲者自身とシロフスキーがリブレットを書いた。チャイコフスキーの全10作のオペラの中では最も頻繁に上演される作品である。 == 曲の完成まで ==
=== オペラ化のきっかけと脚本の執筆===
1877年5月〔「名作オペラブックス」172ページでは5月18日(旧暦、新暦の表記なし)、「新グローヴオペラ事典」135ページでは5月25日(新暦6月6日)とする〕、チャイコフスキーはモスクワ音楽院の教師であり、コントラルト歌手でもあったエリザヴェート・ラヴロフスカヤから、ロシアの国民的詩人とされていたプーシキンの韻文小説「エヴゲーニイ・オネーギン」のオペラ化を提案された。最初こそそれを「突拍子もない〔「新グローヴオペラ事典」 135ページ〕」「まったく話にならない〔「名作オペラブックス25」 172ページ〕」と受け止めたチャイコフスキーであったが、すぐに考え直し、数日を経ずしてあらすじを書き上げる。これは完成稿と比較してもわずかな違いしかないものであった。チャイコフスキーはすぐに友人でジャーナリスト、作家のコンスタンティン・シロフスキーを訪ね、新しいオペラのリブレット(台本)作りを手伝ってくれるように頼んだ。彼はかねてより、チャイコフスキーに聖書の物語や歴史的事件に取材したオペラを書くようせがんでいた人物である。二人はプーシキンの原作の最大の特徴でありまた美点である韻文に極力手を加えないことに注意しつつ仕事を進めた。実際に、たとえば第1幕第2場の「手紙の場」の歌詞は、わずかの削除と補筆こそあるものの、原作の第3章・第31節の文章をほぼそのまま歌詞としたものである。
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